現代社会と宗教(2)-真宗大谷(浄土真宗系)の教義

最近、「無宗教」の米国人が最多になった記事があった。
インターネットで世界中の情報を得られ、比較出来るようになって、神も仏もオカルトでしかないと思う層が増えたのだと感じる。
21世紀に入っても、先進国ですら宗教を崇める人達が残っているほうがおかしいのかも知れない。

前回の記事のアクセス数が凄く多いので、続きを。
皆宗教に矛盾を感じているのかもしれない。


前回も書きましたが、親は真宗大谷(浄土真宗系)、私は無宗教。
※以下、浄土真宗=浄土真宗本願寺派・大谷派 の内容で進めます。 


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今回は浄土真宗、親鸞の教えというものを振り返ろうと思う。

解りやすく、よくある勘違いパターンを4つに絞って例をあげてみる。

以下の4つの項目に一つでも当てはまる人は、信仰心のある方ではなく、
世間体とかシキタリを気にするような方でしか無いと思います。


■『バチがあたる』と、いう人
仏教に『バチがあたる』なんて教えはそもそもありません。
『救う』宗教であって『戒める』宗教ではありません
仏教を何も理解していないか、何か都合の悪い事に腹を立てているだけです。

■『地獄に落ちる』と、いう人
浄土真宗では、阿弥陀如来が信者が亡くなれば、即浄土に導いて下さり仏になれます。
なので『供養』という物はありません
『霊』になる期間は存在し無いので、葬儀などでも『御霊前』では無く『御仏前』。
冥界をさまようこともないので『ご冥福』は祈りません。
もちろん地獄にも落ちません。
ちなみに天国ではなく、極楽浄土へ導かれます。

■占いや厄を信じる人
浄土真宗では、神頼み、占い、迷信、おみくじ、六曜、タタリ、呪い、等を信じません。
厄年も無ければ、お守り等も持ちません

■仏壇、墓、年忌法要に固執する人

浄土真宗ではお墓自体には魂は宿らないという考え方から、お墓も仏壇も持たなくても信仰できる宗派だとされています。
阿弥陀如来を信仰する場所は選びません

・仏壇、墓
仏壇は、他の仏教国には無い。日本オリジナルの工芸品。
一般庶民に仏壇が広まったのは、江戸時代の寺請制度から。
キリシタンあぶり出し政策のため庶民は全員、檀家として寺に属し、仏壇を置くことが義務付けられた。
なので、宗派ごとの基本様式はあれど、各地の江戸時代の地場産業の工芸技法を用いられていることが多い。
加賀仏壇のような豪華絢爛なものまであったり、地方ごとにバラバラ
悪い言い方かもしれないが、強制的に霊感商法で、ありがたい壺を買わされたようなもの。
墓も同様。今の様式の墓が登場したのは江戸時代中期といわれている。

・年忌法要
何十年もやるような年忌法要も日本オリジナル。
仏壇、墓同様、江戸時代、利権を得た寺院が編み出した課金商売。
特に、亡くなれば即浄土に導かれ仏になる浄土真宗には全く関係ない変な習慣。
他の仏教宗派が年忌法要を金儲けに利用してるのを羨ましく感じ、無理やり浄土真宗に取り込んだとしか思えない
阿弥陀如来を信じているなら、追善供養はもちろん行ってはいけないし、それに似た紛らわしい行事はやるべきでないのでは。親鸞が見たら情けなくて泣き崩れると思う・・・。


仏教と先祖信仰や葬式が強く結びつくようになったのは、江戸幕府の宗教政策である檀家制の影響が強い。
寺請制度、檀家制度は明治初期に廃止されています。檀家を維持する必要も、仏壇、墓も江戸時代以前同様、無くてもかまわないはずです。

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浄土真宗の辿ってきた歴史を探る内に、なぜ親鸞が、迷信や神頼みを排除して、シンプルな阿弥陀如来一佛のみの他力本願の悟りを開いたか分かった気がする。
神だ仏だタタリだとアホなことを言ってくる輩を諭すのに、釈迦が教えを頂いた全宇宙最強の仏『阿弥陀如来』にお任せすれば全て治まると、一蹴できる理論に行きついたのではないかと。


さて、ここで妙なことに気付いた。実家にある神棚である。
浄土真宗系は、神頼み、厄、お守り、おみくじ等は信じない。

だが実家では仏壇も神棚もあり、正月にはおみくじに一喜一憂し、お祓いまでしてもらっている。

あれれれ、変だぞこりゃ・・・

実家の両親は真宗大谷への信仰心が強いと自負しているが、お墓の様式からして真宗大谷仕様ではないし、阿弥陀如来を拝んでいるなんて聞いたこともない。

次回は、この謎に迫りたいと思う。
神仏習合、一向一揆、江戸幕府、明治政府、戦争、お東騒動、に振り回されたこの地域ならではの事情が垣間見えてくる。

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