現代社会と宗教(1)-江戸時代の宗教腐敗-

この歳になると、お通夜、葬儀に参列することも多くなり、その度に出来るだけ粗相の無いよう、事前に調べ、各宗派の意義や作法を尊重するようになってきた。
そして各宗派のことを知れば知るほど、各宗派の意義や解釈も曖昧なまま『しきたり』として継承している人が多いように感じるようになった。

実家の両親が継いでいる真宗大谷(浄土真宗系)にも矛盾点が多いように感じ、調べていく内に、なんとなく、特に地方で、現代社会とかみ合わない風習が残っているのか解ってきたので、裏付けが取れているものを自分用にまとめておこうと思う。
(※宗教批判ではありません)

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■浄土真宗とは(鎌倉時代~)

阿弥陀如来一佛を本尊とする、阿弥陀如来の本願力(他力本願)を軸にした教え。
・亡くなると即往生し仏になるので、現世には何も残らない。
 なので、仏壇は阿弥陀如来への信仰用。先祖や故人は居ない。

↑の、たった三行の事も知らない信者はかなり居るように感じる。他の宗教とごちゃまぜにしたり、しきたりに似た習慣に流されるまま。ただ、これだけでも矛盾点が多々出てくる。

『即仏になるのになんで四十九日があるの?』
『往生し仏になっているのに、なんで墓があるの?』とか。

前者の、年忌法要に関しては浄土真宗は『供養』も『故人』も関係ない。遺族に仏法に接してほしいから、と、公式に出している。
阿弥陀如来に亡くなった瞬間、浄土に導いていただいているのだから、勘違いしてる信者が多いが、現在でも浄土真宗系に『供養』は無い信者が追善供養すれば、阿弥陀如来を信じて居ないことになるからだ。
仏法に接する機会を設けたいのなら、別に、ネット上や冊子で法話を公表するなり、お経も、CDやデータ配信してくれたほうが、より身近に教義に接することが出来るような気がするのだけれど。
『供養』が無いので、墓の存在は、ますます謎である。

この年忌法要や墓に関しては後述する歴史的事象の中で明らかになって行く。

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当時の民衆目線でとらえると、

・信仰者は亡くなった時点で仏になれる。(霊という概念が無いので、ご冥福、ご霊前、等の言葉は使用しないし、地獄にも落ちない。仏なのでお盆にも帰ってこない)

・生きるための多少の殺生、過ち無しでは、暮らしていけなかった社会の矛盾をクリアした宗教で、当時の民衆の支持を受け八代目蓮如の代で、空前の大ヒット!

・一向一揆に繋がってしまったけれど、時代に即した、画期的な宗教だったのは間違いない。

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■そもそも浄土真宗開祖の親鸞は、

「それがし閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし」『改邪鈔』
(死んだら浄土へ行くわけだから、屍には何の意味もない。どうなろうともかまわない、賀茂川の魚が喜んで食べてくれるならそれでもよい。)

という言葉を残しているばかりでなく、自分の親の供養も一度もしていない。と『歎異抄』に記されている。
大乗仏教をさかのぼると、ブッダも死後、ガンジス河に遺体を流すよう弟子に指示していたし、開祖らしいお言葉のように思う。
この時点で、『墓』や『供養』からは縁遠い宗教だったと推測される。

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■キリシタン弾圧(江戸時代)

・有名な隠れキリシタン弾圧。今聞くと酷い話のようにも聞こえるが、中世の教会の政治権力の強大さと、宣教師を送り込み植民地化する欧米諸国のやり方を、しっかりと把握していた知識人が江戸幕府に存在していたことを意味する。

・キリシタン炙り出しのために、寺請制、檀家制、宗門人別改帳への記載が全国民に義務化され、民衆は、お寺に檀家として属さないといけなくなる。

・寺請制のおかげで一般の民衆にも墓が持てるようになる。現在の一般のお墓文化の始まり。当時の幕府としても、キリシタン炙り出しと、大衆の支持も得られて一石二鳥。

・この時点で宗教の教義はどこへやら。怪しくなってくる。でも憧れの『お墓』が持てて、嬉しいから、ま、いっか。わーーーい。お公家さんみたい。かっこいいー♪そんな感じかなぁ・・・。たぶん、江戸時代前後でも、まともに教義を知っている信者やお坊さん、少なかったんじゃなかろうか・・・。

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■宗教の腐敗、葬式仏教への没落(江戸時代)

・新寺建立禁止令も発令されたため、ライバル不在の お寺の権限が檀家より強くなる。
・権限を持ったお寺が、先祖供養を世襲制にして、檀家から金銭を受けるシステムが完成。錬金術を編み出してしまった。 霊感商法完成。供養の教えの無い浄土真宗までやりだす始末。
年忌法要・年中行事を作りだし、供養名目に、お寺のやりたい放題が始まる。本来の仏教の教えから乖離しはじめる。ちなみに江戸時代より前や、他の国の仏教には数十年も続く年忌法要なんてありません

・贅沢三昧に憧れ出家する者も大量発生。 クソ坊主大量発生。今のビットコインに群がる若者のようなもの。

肉や酒、女に溺れ、人妻や、男にまで手を出した僧侶や、僧侶が尊敬されていなかった記録も多々残っている。

檀家から外されると無宿人や、非人になるため、お寺からの要求に逆らえない檀家にも不満が溜まる。
・お寺さんの気分しだいで、人を村八分に出来てしまうのだ。 今でも檀家や氏子にならないと事実上村八分にされる集落は地方に残っている。のどかな田舎暮らしを夢見て地方に引っ越しても、結局みんな都市部に帰ってしまう。
・際限なき収奪が可能となった寺院には当然、批判が起こった。
・また、その批判者は儒学者・神道学者・国学者など幅広く、数も多かった。
・これら批判は江戸時代の初期からあり、そのまま明治維新の廃仏毀釈運動まで江戸時代通して存在し続けた。

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■廃仏論と廃仏毀釈(江戸時代~明治時代)

・これら批判を受けて幕府や藩は、何度か寺院への締め付けを行なっている。
 例えば1665年の時点で「諸宗寺院法度九ヵ条」を出し、寺院から無教養の僧侶を放逐する、檀家の負担を軽減する、寺に女性を泊めない、離壇の権利を檀家に認めることなどをその中で命じている。寺院の整理も行なわれ、水戸藩や岡山藩は早い時期にこれを決行している。

・以上の締め付けもあって、中世のように仏教勢力が一大勢力を築くというようなことは起こらなかったが、それでも行政を担った寺院の権益を奪いきることは到底できるわけもなく、寺院の腐敗は続いた。

・明治最初期、多くの寺院の破壊を伴った廃仏毀釈運動が起こるが、その背景にはこのような要因が強く絡んでいた。

・もう少し時代が進み檀家制度に拠る寺院経営に綻びが見えると、各宗派からも体質改善や改革といった声が出てくるようになる。
 これは本来の教え、仏法に帰るべきだという点が強く主張されるあまり、根付いてしまった先祖供養などの否定にも及び、檀家から見た現代における仏教のあり方を必ずしも受け止めているものではない。
もう滅茶苦茶である。

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■寺請制度の廃止(明治時代)

・お寺の腐敗に終止符を打つため、明治政府は寺請制度を廃止。1871年に氏子調(神社)に引き継がれたが、2年で氏子調も廃止。
・なのに、とくに地方では、檀家制度は根強く依然存在している。
・もっともこれは、寺墓を持つためにそのまま寺と檀家が繋がっているだけというケースが多い。
・家人の葬儀や先祖の年忌法要といった儀礼でしか寺と檀家は接点を持たない、いわゆる葬式仏教である。
・しかし、それも経済成長に伴った農村から都市への人口移動などで、農村部は人が減り、廃寺となるケースが目立っている。
・また、葬儀業者がその一切を手配してしまうという例も多く、ますます寺檀関係は希薄化している。

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■現在

家制度も廃止され(昭和23年廃止)、政教分離し、信教の自由が認められている現在でも、檀家制度が作りだした年忌法要・年中行事は亡霊のように存在している。
・今後廃れていくのは明白だと思うが、信仰が絡むので本当にややこしいし、慎重にならざるを得ない。
・時代を遡ると、江戸時代にやらかした愚策が現代の宗教離れを起こした元凶
・以上のことから地方の寺院経営は厳しくなる。寺院経営は岐路に立たされていると感じる。

・一部とはいえ、なぜ学のある人達が新興宗教に流れるのか、今まで長年の謎だったが、江戸時代の宗教腐敗を深く知れば知るほど呆れて改宗した人も居るんじゃないだろうか。


■余談
・京都に住んでいたころ、祇園の高級店で寿司や酒を喰らう有名寺院の住職に遭遇したり、百貨店で高級ブランドの革バッグを楽しそうに物色する尼さん達をみてゲンナリしたこともある。現代でも江戸時代の腐敗した宗教のなごりが垣間見える。
 福井では永平寺の修行僧がお坊さんのイメージだった・・・・。
・地方寺院は生き残りをかけて対策を打つかもしれないが、京都ではまだまだ改革は進まないかもしれない。

・子供も居ないし、私個人としては無宗教で終わりにしたい。散骨も法令化されそうだし、海や山に返すのが仏教の原点にも近いように感じる。道徳の概念は時代とともに変化するものだし、宗教に頼らず先祖や故人を敬い語り継ぎ、自身を高めて行けたらと思う。

・・・・あれ?かなり仏教の本質に近くないかい?

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