師匠と修行

「ホンネサンの絵は模倣から入ったのか、自己流なのか、どういった経緯があったのですか?」と、質問メッセージを頂いたので、社会に出るまでの経歴を簡単にまとめてみます。主に10代~20代前半。

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・中学一年~高校三年までは柔道部。繰り返し試行錯誤しながらの、打ち込みや乱取りの考え方、忍耐力は、美術修行でのデッサン等に多いに役にたちました。

・高校三年から得意だった美術を進路に選び、美術の先生に美術を基礎から学びました。師は、抽象画の吉本忠彦先生。夏休みに上京し、新宿美術学院で夏期講習を受講してカルチャーショック受けてみたり。卒業するまで、ほぼ毎日高校の美術室で石膏デッサン。

・結局、一浪。浪人中は、上京し、すいどーばた美術学院デザイン科へ、主に彫刻の先生に、デッサン、着彩、立体構成等を学ぶ。ここでのアカデミックな技法の習得は大きかったです。

・大学はインダストリアルデザインを専攻していましたが、図面作業が多かったので、商業デザインに2年次から転コース。ここで、細密なリアルイラストを、主に、野間夏男先生、織田憲嗣先生などから学びました。丁寧で緻密なフィニッシュワークを主に。

それと、上記以外にも大学時代に所属した漫研で、同人誌、ペーパーアニメ、8ミリ、フィギア製作等もやってました。これも色々とカルチャーショックの毎日。色んなことをやらせて下さった先輩方には感謝しております。この辺の事かじってなかったら柔軟にゲーム製作出来てないかも知れません。

よくホンネサンは、「同人絵とか嫌いなのかと思ってました~」と言われたりするのですが、そんなことないですよ。ゲーム製作に必要だと思われれば、そういった要素も入れなくてはならないときもありますし。
あと、コスプレにも偏見はありません。凄いなぁ~。と純粋に思います。創作物で、オリジナルのコスプレが増えると面白そうです。


少し脱線しましたが、芸術~赤子の落書きまで、好き嫌いはありません。幅広い視野を持って、今の仕事をしておりま~す。

振り返ると、抽象画の先生、彫刻の先生、デザインの先生、細密画の先生・・と、学んだ師の影響は大きいと思います。周りにも恵まれていたんですね。

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